A friend of mine gave me a link to very high qualitied Youtube Video regarding the capital of Hungary, Budapest. Besides very beautiful city sides, you can also see some material invented by Hungarians.
Enjoy in wide screen :))
Oct 22, 2009
Budaepst, very nice promotion video
Sep 20, 2009
さいきん読んだ本20
鎌田慧 『自動車絶望工場 ある季節工の日記』
外国で暮らしていると、こういうことをよく言われる。「日本人はすごいな。トヨタ、ホンダ、カワサキ、ニッサン。みんな日本の会社だもんな」「日本人はよく働くし、頭がいいよな」。ただしさいきんは、そう言われても複雑な思いを抱いてしまう。
外国の人から、日本の自動車メーカーの悪口は聞いたことがない。とくに経営を勉強している大学生なんかは、「カイゼン」という日本語まで知っている。トヨタ流の「カイゼン」は、世界ナンバーワンの自動車メーカーとして成功したモデルケースとして、世界中で学ばれている。トヨタ式のノウハウを紹介したビジネス本は本屋にあふれており、英訳版も多く出版されている。まさに日本を代表する優良企業としての地位を確固たるものにしている。
しかしそうした机上の理論だけを学んでも、じっさいに働く工員たちの声は届かない。トヨタ流の「カイゼン」は、工場ではたらく人間ひとりひとりにとってどのような意味を持つのか。それを明らかにしたのが『自動車絶望工場』だ。
高度経済成長期にあたる1970年初頭。筆者は季節工員として、約半年の契約でトヨタの愛知本社工場で勤めながら、工員たちの声を日記に書き取っていく。工員たちにとって「カイゼン」が意味するものは、毎日12時間の単調作業、トイレ休憩も取れないほどの過酷なノルマ、そしてすぐそばで起きる重大事故と過労による精神衰弱の恐怖だった。
いうまでもなく、当時も今も、トヨタはメディア的にも政治的にも圧倒的な力を持っており、工員たちの声が表に出ることはない。もちろん本書においてはトヨタはひとつの取材対象でしかない。当時と違うのは、現在は日本メーカーの海外進出がずっと進んでおり、工場で働く人たちの顔が利用者の側から見えにくくなっていることだ。メディアで報道されることはないが、日本は「労災」まで輸出していないだろうか。苦しい立場にある人々の声をくみ取る人はいないのだろうか。作品自体はかなり前に書かれたレポートではあるが、いまだからこそ読み、考える価値のある作品だと思う。
井筒俊彦 『イスラーム文化』
イスラーム文化について知りたいとおもったらまず、といわれる名著。60×3回分の講義スタイルで、難しい概念をわかりやすく理解できるようになっている。もはや日本人にとっても無視できなくなったイスラムの存在。そのおおまかな骨子を感じられる一冊だと思う。
きょう(9月20日)で一応ラマダンが終わる。先日ソマリア人たちといっしょにモスクに行った。外からお祈りを見るだけのつもりだったが、みんなはおれにも中に入れと言う。ひとりがウラマーの人に「こいつは日本人で、実は仏教徒なんだけど、入れてあげてくれるか?」と聞くと、「カム!カム!ノープロブレム」という威勢のいい返事がきたのでおどろいた。そばにいた人も「トゥモロー・ユーアー・ムスリム」と叫んでいた。
さすがにお祈りはしないつもりだったが、帰るタイミングを逃してしまい、けっきょくいっしょにやることになった。「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と唱え、メッカに向かって何度も祈る。みんなはコーランを暗唱しているが、もちろんわからないので、とにかくじゃまにならないようにだけ気をつけた。そのあとメシももらう。骨付きの牛肉のブロックをそのまま揚げたものと、ジャガイモ、ライス、サラダとけっこう豪華。アジア系のスパイスが効いた味が懐かしかった。断食明けの信者たちは、みんな一心不乱に食べていた。200人くらいいる。ソマリア人、アフガニスタン人、バングラデシュ人、エジプト人、チュニジア人、サウジアラビア人、イラン人、トルコ人、そしてイスラム教徒のハンガリー人もたくさんいる。みんなうまそうに食っている。
お祈りが終わって外に出ると、アフガニスタン人で元難民のカイードが、「イスラムの考えでは、イスラム教徒はみんな兄弟と言うことになってるんだ」と言ってきた。おなじ空間で、おなじメシを食って、祈りをささげてみると、ほんとうにそうだと思った。国籍よりも大事なつながりがイスラムにはあると感じた。
松本仁一 『カラシニコフⅠ』
松本仁一 『カラシニコフⅡ』
殺傷能力の高さとメンテナンスが容易であることから、プロの兵士ではない人間にも戦闘への参加を可能にした、AK47(アフタマート・カラシニコフ)と呼ばれるマシンガンがある。子供や女性にも扱えるように設計されており、いまや世界中の戦闘地域で使用されている。本書はAK47を使う人間、売る人間、作る人間、直す人間、銃器ビジネスで利ざやをあげる人間、そしてAKを取り締まり、治安の回復を図る人間へのインタビューの記録。取材フィールドはシエラレオネ、ソマリア、チャド、ザイール、南アフリカ、コロンビア、アフガニスタン、イラク。
本書では「失敗国家」という言葉が多く出てくる。国民に最低限の治安を提供できず、政治・経済活動の土台すら築けない国家のことを指す。そうした最悪の治安状況にある国には、ソ連、アメリカ、中国、北朝鮮などから、大量の銃が流れ込むことになる。一方「失敗国家」は、麻薬・ダイヤモンド・コーヒーやカカオなどの単一作物といった、先進国向けの商品をは対価として銃を買うことになる。
アフリカの国境のほとんどは、ヨーロッパの旧宗主国が無機的に決めたものだ。民族関係や古来の社会構造のあり方などは無視されている。そうした困難を抱えたまま、「国家」を形成することがいかに難しいか。国家は国民の安全を守って当たり前という感覚でいる日本人だからこそ、考えてみる価値があると思う。
難民キャンプで、フセインというソマリア人通訳と知り合った。「サダムじゃないよ」なんて言う、話しやすいおじさん。現在40歳。ハンガリー人と結婚し、4人の子供がいる。20歳のころソマリアからヨーロッパに渡り難民となる。8年間ブルガリアで暮らし、3年間セルビアで暮らし、いまハンガリーで暮らして10年目になるという。ソマリア語しかできない難民のために、たまにキャンプにやってきて通訳をしている。20年間いちどもソマリアに帰っていない。きれいなハンガリー語の発音で、「Haború nem jó(戦争はよくないな)」と、ぼそっという。
「キャンプにいるソマリア人はみんなトラウマを抱えている。親が殺された。子供が殺された。レイプされた。家がなくなった。戦争はよくない。本当にばかなことだ」
松本仁一 『アフリカを食べる/アフリカで寝る』
アフリカについてマイナスイメージが先行しがちなのは、メディアからの情報が紛争・飢餓という問題に集中していしまうせいだろうが、もちろんアフリカにも自分たちと同じようなふつうの人々の営みがあるわけで、それをあますとこなく紹介したのがこの本。食べて、寝るという、当たり前の生活を切り口にして、現地の「ふつうの営み」を体験的にレポートしている。面白いのは、なぜそれが「ふつう」とされるのかまで踏み込んで考察しているところだ。
たとえばガボンという国ではミドリザルというサルをたべる部族がある。ジンバブエのある部族ではカメムシを食べる。なぜかというとそういった地域は内陸で、旱魃(かんばつ)に襲われる地域であったり、ヤギや牛などの動物タンパクが手に入りにくい地域であったりするため、ミドリザルやカメムシは貴重なタンパク源として重宝されているからだ。日本で言えば、海から遠い長野県の人たちが、馬肉、ハチの子、イナゴ、カイコのサナギなどを食べる文化を形成したのと同じだ。
そこに住む人にとってはサルやイナゴやカメムシを食べるのが「ふつう」であるのだから、牛や豚や魚が簡単に手に入る地域の人がそれを「ゲテモノ」だの「野蛮」だのと言うことは間違っている。そういうものを食べるにはそれなりの理由がある。日本人は、浜に打ち上げられたクジラやイルカを、畏怖の気持ちを持って食べてきた。タコもウニもナマコも食べてきた。それを外国人からどうこう言われると気分が悪い。それと同じ理屈だと思う。正直、サルはあんまり食べたくないが、だからといってべつに彼らの「ふつう」を批判していいというわけじゃない。
もちろんこのほかにもアフリカ人の「ふつうの暮らし」が覗ける一冊。そのなかには、ふつうに暮らしていくことの困難さやアフリカならではの問題も垣間見えるのだが、全体的にはかるく読める。戦争・飢餓という側面以外のアフリカを感じたい人には、すごくお勧めできる一冊。
山岸俊男 『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』
日本で学んだ大事なことが、外国では役に立たないどころか、逆に短所になってしまうと思えることがよくある。その一番わかりやすい例が人間関係だと思う。日本人と接するときは、とにかく失礼のないように気遣いをして、本音をずけずけ言わないことが大事。外国人と接するときは、できるだけ相手を信頼するよう努め、また相手からも信頼されるように積極的に自分を出すことが大事だと筆者は言う。自分もそう思う。
どうしてこれだけ大きな違いが生まれたのか、その理由と、そしてこうした違いからわかる、いまの日本社会における人間関係の心理構造についても考察がなされている。たとえば「空気を読む」という行動ひとつをとっても、客観的に考えられる。
星野博美 『謝々!チャイニーズ』
当時27、8歳だった著者が、中国南東部、海岸沿いの田舎町を転々と旅した記録。93年から94年にかけて、規制緩和が進み、いまの中国の経済成長の勢いにエンジンがかかり始めた頃、一般の中国の人たちはどんなことを想い、どんな生活をしていたのか。旅で出会った人々を通じて、書き留めていった旅行記。事実から大衆心理を読み解くことのできる貴重な記録だと思う。
作者は出会った中国人を「生きる天才」と呼んでいる。「生き方」ばかり迷っている日本人にはない、「生きる力」を学ぶことができたと、旅を振り返る。まっすぐに中国人と付き合って、大切なものをたくさん吸収した筆者がうらやましく思えた。自分もそんな旅や出会いをしてみたい。
井上譲二 『プロレス「暗黒」の10年』
個人的にはあまりプロレスに興味はないし、教室で「プロレスごっこ」をやっていたような世代の人間でもない。しかし特に年上の人の間には、熱狂的ファンだった人も多い。それがなぜ今や人気が凋落してしまったのか、それを検証しているのがこの本。「団体の拡散」「暴露本」「格闘技ブーム到来」などについて詳しくかかれている。プロレスについてある程度知っていないと内容はわからないかもしれない。プロレスの「リング外」でのゴシップについて知りたい人なら楽しめると思う。
魚住昭 『官僚とメディア』
国家権力・大企業の広告とメディアの癒着を描いていている。国民ひとりひとりがメディアにできること・できないことを自覚し、健全なメディアを選択していくことができれば、現状も変わるのだろうか。ジャーナリズムの正義はどこにいってしまったのだろうか。
民主党は政権を取れば記者クラブを解散すると言っていたが、その公約は守られなかったようだ。無論こうした公約違反は大手メディアでは取り上げられないから、ふだん新聞やテレビでニュースを見ている人には伝わらない。インターネットを使って、ジャーナリズムに公平さをもたらすことはできるだろうか。
さいきん気になる上杉隆さんというジャーナリストが出ている朝日ニューススターのYoutubeを張っておきます。
民主党が記者クラブ開放公約を反故に?!(ダイジェスト)
沢木耕太郎 『彼らの流儀』
いろんな人生、いろんな生きかたに触れられる一冊。
Sep 14, 2009
別ブログにて。。。
こんにちは。
いつも読んでくれてる人ありがとうございます。
難民キャンプについての日記をmixiからブログに移すことにしました。
写真とかもUPしていきます。 また読みに来てもらえればうれしいです。
http://nanmin-hungary.blogspot.com
ではまた。
