門田隆将 『なぜ君は絶望と闘えたのか』
(Wikipedia:光市母子殺害事件)
森達也氏の『死刑』、奥野修司氏の『心にナイフをしのばせて』以来、死刑そして少年法を扱った作品を読んだ。
ブラチスラバ旅行の行き帰りに読んだのだが、外の景色も検閲に来る駅員も一切気にならず、読了後は座席にへばりついてしまったような重力を感じた。そのくらい、鬼気迫るレポートだった。
光氏母子殺害事件の被害者本村氏は、9年間、被告人をを死刑にかけることを望み、裁判を闘ってきた。「僕はあの男を絶対に殺します」とマスコミに訴えてきた。そう、本の紹介に書いてあった。死刑を望む被害者はどんなことを考えているのか、読んでみなければと思い手に取った。しかしその心情は変化していくことに後で気づく。
本村氏は、「法廷は復讐の場ではなく、被害者にとっての救済の場であり、被害者と加害者の和解の場」だと言う。絶望にうちひしがれるなか、自らも憎しみの感情を捨て去りたいという思いを込めて、被告人と向き合おうとする。死刑廃絶派の弁護団、遺族感情無視のマスコミ、形骸化した裁判制度など、困難にぶつかり、遺書を残し自殺の直前まで至ったこともあったが、ゆっくりと、そして着実に、この国の法律を変えていった。
被害者、そして検察の方々に対しては、敬服という言葉も相応しくないような、ある種の畏怖を抱いた。犯行時の供述を字面で追ったときはおもわず本を反らした。描写を直視できないという思いからか、自然と本を持つ角度を変えていたのだ。そのくらい凄惨な記述もあるので、気軽に読むことはお勧めしないが、マスコミというフィルターを差し替えて、この事件、死刑制度、そして少年法を考えてみたいという人には是非、という一冊だった。
堀井憲一郎 『落語の国からのぞいてみれば』
与太郎から現代へのアンチテーゼ。
昨年、寄席にはじめて行ったころからか、落語が好きになった。飛行機では必ず4,5話聞くし、Youtubeでもたまに見る。この本は、すべて落語の根多で構成された現代国語の教科書といっていい。噺から当時の社会風俗や、江戸時代の民衆がどんなことを考え生活していたかということを探っていく。「150年前の暮らしから見れば、今の生活はなんかヘンだよなぁ」というのが本書のテーマ。気軽に読める。
大河ドラマでも、時代劇でもない、ふつうの暮らしが描かれている。ありそうで、あまりないジャンルの本だと思う。「名前なんてコロコロ変わって当たり前」「結婚はしなくてはならず、恋愛は上層階級の趣味でしかなかった」など、すっかり変わってしまった社会常識に気づかされ、おもしろかった。
沢木耕太郎 『人の砂漠』
北方領土、与那国島、曳子、不敬罪逮捕者、精神障害者養護施設など、おそらく日本で生活するほとんどの人が積極的な関わりを持とうとはしないであろう人々へのルポルタージュ。
世間では、彼らは、社会的弱者・偏狭な人々と呼ばれることもあるのだと思う。伝記に載ったりすることはまずないだろう。そんな「使われなかった人生」をつめこんだ一冊。
沢木耕太郎 『チェーン・スモーキング』
同氏のエッセイ集。内容はややエンタメ色が強いが、ルポルタージュの巨匠がどこに目を置き、人々を観察するか窺い知ることができる。短編集。
佐野眞一 『この国の品質』
憂国のノンフィクション作家、佐野眞一氏の2007年の著作。
品格ということばがはやった同年、安部元首相の宰相投げ出しや、時津風部屋での殺人などで騒がれた年でもあった。佐野氏はあきらかに日本社会の底が抜けはじめていると嘆き、「品格」などという言葉を使うのもおこがましく、その価値を無機的に問う「品質」こそふさわしいと言い、タイトルとしている。
3部構成で、第1部は講演会議事録、第2部はエッセイ集、第3部は東電OL事件追筆と下層社会として描かれる東京都足立区のレポート。
同氏の主張はどの著作でも一貫している。「高度経済成長とは何だったか」。経済発展の気流から一歩はなれて立ち止まり、日本人は何を失ったかということを緻密な取材で明らかにしてく。同氏の作品はどれも(たとえ新書であっても)極厚だ。
『カリスマ』『大往生の島』『阿片王』『巨怪伝』など、佐野氏の過去の著作を読んだうえで個人的に感じるのは、高度経済成長をきっかけに、「人間としてのふるまい」が大きく変わってしまったということだ。人間の器の違いとでもいうのか、貧しくともダイナミックに、そして謙虚に生きた人々が大勢いたということが伺える。
本書も、そうしたエッセンスを存分に含んでいるので、同氏の作品を読んだことがない人でも楽しめると思う。
山本周五郎 『さぶ』
名作。江戸に生きた青年史を描く。
主人公は年も同じくらい。ひたむきに生きる男のすがすがしさを感じた。
田宮俊作 『伝説のプラモ屋-田宮模型をつくった人々』
日本が世界に誇る中小企業、タミヤ社長の自伝。
敗戦後、静岡の工場から、零戦、パンサー、タイガーなどのヒット商品を飛ばし、日本の人口よりも売れたというミニ四駆を世に送り出した会社でもある。
そう、自分にとってやはりタミヤといえばミニ四駆だ(というか、ミニ四駆以外のタミヤ製品を買ったことがない)。
はじめてミニ四駆を買ったのは小学1年のとき。熊野にいた。駅前商店街のちいさな模型屋にいって、キットを600円だかの値段で買い、そのまま模型屋の中に敷いてあった畳の上で友達といっしょに組み立てた。当時は知らなかったが、調べてみるとおそらくグラスホッパーという車種だろうと分かった。車高が高く、群青色のジープみたいなのだった。
はじめてのミニ四駆で、当然説明書などを見てもわけがわからず、友達や周囲の大人に聞くも挫折。同じアパートに住んでいた年上の友達がさっさと組み立て、模型屋の廊下で興奮して走らせているのをじれったく見ているしかなかった。家に帰り、父親に助けてもらいながら組み立てるも、マシンは自分が歩くスピードよりものろく駐車場を走るだけだった。当時から理系センスはなかったんだなと思い出される。
転校し、河芸に戻ってから、ミニ四駆大ブームが訪れた。烈豪兄弟はコロコロでもアニメでも大活躍し、サッカーの練習がないときはコースを持っていた友達の家に集まり、必死に改造をしたり、レースをやった。
地元のタミヤの店や、できたばかりの大型スーパーにパーツを買いに行った。レストンスポンジタイヤに大径アルミローラー、ナローワンウェイホイール、マッハダッシュモーター(大会では認められないが田舎なのでその心配は無く、だいたいみんな使っていた)、超速ギア、金色した電池金具のやつ(名前忘れた)くらいが定番の改造で、入り込んでる奴は肉抜きして、メッシュも張っていた。
自分はどういうわけか、ショック吸収タイヤとサイドポール、そしてスライドバンパーは譲れないパーツだった。円形か、せいぜい八の字コースくらいでしか走らせたことないのに、そんなものはまるで必要ないのだが、そのころは「いかにカッコよくマシンを仕上げられるか」も重要なポイントだったのだ(吸収タイヤがかっこよく見えるかどうかは今も疑問だけれど、当時はゴムの照りまで気にしていたのだ)。600円のキットを買うと、市販のモーターやギアは最初から入れなきゃいいのにといつも思っていた。トライダガーが好きだったが、何度やっても肉抜きができなかったので、愛車は結局ファイターマグナムだった。
もちろんニカド充電池使用。6~7台持って、持ち運びできる専用のプラスチック・ケースに入れていた。全車スーパー1シャーシ・フルカウルタイプ。かなりハマった段階になると、コースに加えてスピードメーターまでクリスマスだか誕生日に買ってもらって、自宅でも競い合った。
小学4年生の時には担任が変わり、図書館を会場にしたミニ四駆大会が、年に3回くらいあった。他のクラスには内緒で、これには当時クラスにひとりだけいた不登校の子にも来てほしいという思惑もあった(実際その子はミニ四駆大会のある日は学校に来た)。学校でミニ四駆という男子一同の願いが叶い、あまりに興奮していたので、そのころ女子が何をしていたのかまったく思い出せない。たぶん本でも読んでたんだろう。
そんな大ブームの最中、物議をかもしたマシンが登場した。スピンコブラだった。
記憶がただしければ、たぶん烈豪兄弟に出てくるおぼっちゃまキャラの藤吉が、マグナムとソニックに勝つために、ワルめの博士に大金をはたいてスピンアックスを改造した、という設定だったとおもう。実際、スピンコブラはコロコロに登場してまもなく、地元の模型店やスーパーでも売られた。だが、これはミニ四駆ではなくただの模型で、走ることはできなかった。何人かそれを知ってか知らずか買っている友達がいたが、彼らはよくばかにされていた。タイヤが少しだけ左右に動くというところも、よりスピンコブラを滑稽に見せる要因にしかならなかった。自分も、スピンコブラなんか買うやつは頭がおかしいと思っていた。その後、レイスティンガーやビークスパイダーという新たなマシンが登場しても、いつもスピンコブラだけは陳列棚の隅で売れ残っていた。
ただ、今おもえば、あの大ブームの最中、悠然とスピンコブラを出してくるところに、タミヤの強さが見られるような気がする。戦後、木造模型からプラスチック模型に以降するしなやかさと、時代に流されず時代をつくる攻めの姿勢(エポック・メーキング)こそ、静岡の中小企業がいまや世界中に工場を持ち、根強いファンを持ち続ける企業の根幹を支えているのではないだろうか。
考えてみれば、「つくる楽しさ」を経験したことは、ミニ四駆のほかにない。以降もビーダマンやハイパーヨーヨーなどのブームが到来したが、それらは既製品であるし、工作の授業で版画や座椅子なんかもつくったが、当然ミニ四駆ほど熱くもなれなかった。そういう意味では、ちいさいころに貴重な遊びを教えてもらったのだなと、妙に有難い気持ちにさせられた。
黄昏 日光・東北編南伸坊×糸井重里
3 hours ago

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