May 26, 2009

『もの食う人びと』

辺見庸 『もの食う人びと』

人びとはいま、どこで、なにを、どんな顔をして食っているのか。あるいは、どれほど食えないのか。ひもじさをどうしのぎ、耐えているのだろうか。日々ものを食べるという当たり前を、果たして人はどう意識しているのか、いないのか。食べる営みをめぐり、世界にどんな変化が兆しているのか。うちつづく地域紛争は、食べるという行為をどう押しつぶしているか……それらに触れるために、私はこれから長旅に出ようと思う。
はっきりとした旅程はない。これといった決心もない。ただ一つだけ、私は自分に課した。噛み、しゃぶる音をたぐり、もの食う風景に分け入って、人びとと同じものを、できるだけいっしょに食べ、かつ飲むこと。
不安である。意義もわからない。愚かかもしれない。
でも、そうしてみたい。なぜだろう。
私は、私の舌と胃袋のありようが気にくわなくなったのだ。長年の飽食に慣れ、わがまま放題で、忘れっぽく、気力に欠け、万事に無感動気味の、だらりぶら下がった、舌と胃袋。だから、こいつらを異境に運び、ぎりぎりといじめてみたくなったのだ。この奇妙な旅の、それが動機といえば動機だ。贅沢にたるみ、麻痺した舌と胃袋だから、どうなるか見当がつかない。怖がって縮みあがるだけかもしれない。しかし忘れかけている味を思い出させたいのだ。怒りの味、憎しみの味、悲しみの味を。<冒頭より>



本書は「グルメ本」「ゲテモノ料理」という類のものではない。世界中で、人びとは、どのようにものを食っているのか。ひたすら「食う人びと」だけを追いつづけた、旅の記録だ。

短編30本。取材対象は広い。コソヴォの修道院、チェルノブイリの汚染地域、バングラデシュの残飯市場…。ソマリアで死を待つ少女、ウガンダのAIDS患者、元従軍慰安婦、ドイツの囚人、ポーランドの元首相、アフリカの王様、幾多もの少数民族…。逸見氏が歩いて、見て、聞いて、嗅いで、味わった記録が、落ちついた筆致で書かれている。大げさな「批判」も「説教」もない。読むと、食う人と、そのまわりの景色が浮かぶ。事実の解釈は、すべて読み手にゆだねられる。体当たりで、何度も銃弾をかいくぐった、命がけの取材。

筆者の渇望は、自分の目でものを見て、歩き、感じる、考えることを徹底したいということのみにある。一見シンプルに思えるこのことが、しかしながら、いかにむずかしいかということも、この本は教えてくれる。

身体も思考も大衆化されやすい時代に生きている。食が自分をとおるとき、ウンコだけ出していればいいのか。情報が自分をとおるとき、どんな言葉を発するべきか。さまざまな困難を抱えながら、それでも食い続ける人たちがなまなましくあぶりだされた本書を置いたとき、生き方を問われていると感じた。



目次
旅立つ前に

残飯を食らう/食いものの恨み/ピナトゥボの失われた味/人魚を食う/ミンダナオ島の食の悲劇
食と想像力/胃袋の連帯/うどんの社会主義/ベトナム銀河鉄道

塀の中の食事 /食とネオナチ/黒を食う/敗者の味/サーカス一座の意味ある空腹/菩提樹の香る村/様々な食卓 /魚食う心優しい男たち/聖パンと拳銃と/大観覧車で食べる

モガディシオ炎熱日誌 /麗しのコーヒー・ロード/バナナ畑に星が降る/この王様のこの食事

兵士はなぜ死んだのか/禁断の森/チェロ弾きの少女/美しき風の島にて

儒者に食事作法を学ぶ/背番号27の孤独な戦い/ある日あの記憶を殺しに

2 comments:

ゆみ said...

1年間お疲れ様。
よく頑張ったと思います^^/
あと数日、悔いないように!!
引継ぎもあるのかな??

Yoshibee said...

@ゆみちゃん
どうもです。1年短いですね。
ハイ、いろいろあって、今月終わりまでは会社に来ます。そのあとは、なんにも決まってませんが、2月まではハンガリーにいます。
いろいろとありがとうございます:)

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