May 27, 2009

『神の棄てた裸体― イスラームの夜を歩く』

石井光太 『神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く』

イスラームの国で、男と女はどのように裸体を絡ませあっているのだろう。
街角のスラムにいる少女の売春婦は、何を思って体を売っているのだろうか。性同一性障害の人たちは、どうやって暮らしているのだろうか。一夫多妻が受け入れられる理由は何なのか。道端にあふれる乞食は、どこで交わっているのだろうか――。
これから私はそうした疑問を解き明かすために、東南アジアから中東に至る地を旅しようと思う。
イスラームの世界が、私たちの眼前に現実感をもって現れたのは、二〇〇一年の九月十一日以降のことだった。テロリズムという言葉とともに報じられたその世界は、保守的で男性中心のそれとして提示された。
女はベールを被り、家の奥に押し込められ、親が決めた相手と顔も知らないまま結婚させられる、といわれている。奴隷のような女性と銃をもつ荒々しい男、という構図がイスラーム世界そのものだった。
しかし、これらは固定観念に過ぎないのではないか。いつの世にも、完璧に清い世界などありえないし、すべての男女が同じ関係を築いていることなどありえない。それは日本人男性が全員「侍」ではないし、女性が全員「大和撫子」ではないのと同じことだ。
にもかかわらず、私たちの耳や目に紋切型の情報以外、入ってくることはない。連日、イラクやアフガニスタンでの出来事が報道されているというのに、そこでは戦場における野蛮な男と不遇な女という画一的な世界しか映しだされないし、語られない。
それはきっと、メディアがイメージだけでイスラームを見ているからなのだろう。人が一人ひとり異なる体をもち、異なる思いを抱き、異なる行動をとるものだという当たり前のことを忘れて、都合のいいように物事を解釈しているのだ。
今回、私がイスラームの清潔な性というものを問うてみたいと思った動機は、そこにある。堂々とはびこる建前だらけの情報に対して、とにかくうんざりし、いら立っていた。その象徴がイスラームの性だったのである。<冒頭より>


筆者は中東を旅しながら、イスラームの戒律とも、"清潔な性"ともかけはなれた現実を目にすることになる。父親が娘を殺し、妻が夫を殺し、弟が兄を殺し、警官が物乞いを殺す。10歳に満たない子供たちが、誘拐され、男の子も女の子も、体を売り、暴行を受ける姿を見る。「イスラームとセックス」という、もしかしたら日本人にとってはもっとも見えづらい世界を、徹底的に現地の人びととつきあってきた作者を通して知ることができる作品だ。

事実のみを記し、解釈は読み手にゆだねるノンフィクションの主流に沿わず、かなり主観をあらわにして書いている。傍観者にならず、作者から仕掛けるアクションとその余波を中心にすえるという点では、沢木耕太郎の『深夜特急』を思わせる。売春宿の娼婦やスラムの子供とともに暮らし、首をつっこみ、作者と彼らとの関係をえがいていく。宮本常一の『忘れられた日本人』に収録されている「土佐源氏」をオマージュにした「問わず語り」も面白かった。

宮本常一 『忘れられた日本人』



どれも脳裏にこびりつくような描写ばかりだったが、ミャンマーの国境に位置する、バングラデシュの田舎町の話も壮絶だった。数年前に外国資本の工場ができたこの地では、ほとんどの男が働き手として取られてしまい、女ばかりとなってしまった。男なしでは、イスラームの戒律に沿った、村の伝統的な暮らしが成立しなくなってしまう。そこで、ミャンマーからの難民(ロヒンギャと呼ばれる)の男を夫として迎えるが、生活はうまくいかず、夫は都会に仕事をしに逃げてしまう。数年後、夫は娘を人買いに売るため戻ってくるが、妻は子供を守るために夫を殺してしまう。。。

外国資本の工場!!日本企業は東南アジアに、網のように工場を進出させている。「現地で雇用を生む」という、美しい文句を大義にして。

「世界」という概念をどこまで認識するかは、人によってちがう。その人の生活圏内だったり、市とか国とかいう行政単位を便宜的に利用する人もいるだろう。ただし先進国において、ベトナムの工員がつくったポロシャツを着て、インドの漁民がつくったエビをスーパーで買って、9歳の少女がガーナのカカオプランテーションで収穫したチョコレートを食べているということが、田舎と都会にかかわらずどこにも現実としてあるならば、どうして彼らを無視することができるだろうか。

自分たちの暮らしが、途上国で貧困にあえいでいたり、体を売ったり、殺したり殺されたり、誘拐したりされたりしなければならない人たちと無縁ではないことを、彼らの暮らしをつぶさに知っていくことで、意識すべき時代にいるのだと思う。自分の暮らしも、イスラームの売春宿で働かなければならない人たちと、とても見えづらいが、しかし悲しいことに無関係ではないことを、つながった「世界」に生きているということを、この本を読んでつよく感じた。


目次
第1章 街娼たちの渇愛―インドネシア/パキスタン(夜会;婆;兄弟の秘め事;禁じられた舞踊)
第2章 異境を流れる者―ヨルダン/レバノン/マレーシア(月の谷の女;死海の占い師;堕天使)
第3章 家族の揺らぎ―バングラデシュ/イラン/ミャンマー(人さらい;砂漠の花嫁;問わず語り)
第4章 掟と死―パキスタン/アフガニスタン/インド(銃声の子;花の都の裏切り者;切除;水の祈り)
第5章 路上の絆―バングラデシュ(浮浪児の渇き;幼い乳)

May 26, 2009

『もの食う人びと』

辺見庸 『もの食う人びと』

人びとはいま、どこで、なにを、どんな顔をして食っているのか。あるいは、どれほど食えないのか。ひもじさをどうしのぎ、耐えているのだろうか。日々ものを食べるという当たり前を、果たして人はどう意識しているのか、いないのか。食べる営みをめぐり、世界にどんな変化が兆しているのか。うちつづく地域紛争は、食べるという行為をどう押しつぶしているか……それらに触れるために、私はこれから長旅に出ようと思う。
はっきりとした旅程はない。これといった決心もない。ただ一つだけ、私は自分に課した。噛み、しゃぶる音をたぐり、もの食う風景に分け入って、人びとと同じものを、できるだけいっしょに食べ、かつ飲むこと。
不安である。意義もわからない。愚かかもしれない。
でも、そうしてみたい。なぜだろう。
私は、私の舌と胃袋のありようが気にくわなくなったのだ。長年の飽食に慣れ、わがまま放題で、忘れっぽく、気力に欠け、万事に無感動気味の、だらりぶら下がった、舌と胃袋。だから、こいつらを異境に運び、ぎりぎりといじめてみたくなったのだ。この奇妙な旅の、それが動機といえば動機だ。贅沢にたるみ、麻痺した舌と胃袋だから、どうなるか見当がつかない。怖がって縮みあがるだけかもしれない。しかし忘れかけている味を思い出させたいのだ。怒りの味、憎しみの味、悲しみの味を。<冒頭より>



本書は「グルメ本」「ゲテモノ料理」という類のものではない。世界中で、人びとは、どのようにものを食っているのか。ひたすら「食う人びと」だけを追いつづけた、旅の記録だ。

短編30本。取材対象は広い。コソヴォの修道院、チェルノブイリの汚染地域、バングラデシュの残飯市場…。ソマリアで死を待つ少女、ウガンダのAIDS患者、元従軍慰安婦、ドイツの囚人、ポーランドの元首相、アフリカの王様、幾多もの少数民族…。逸見氏が歩いて、見て、聞いて、嗅いで、味わった記録が、落ちついた筆致で書かれている。大げさな「批判」も「説教」もない。読むと、食う人と、そのまわりの景色が浮かぶ。事実の解釈は、すべて読み手にゆだねられる。体当たりで、何度も銃弾をかいくぐった、命がけの取材。

筆者の渇望は、自分の目でものを見て、歩き、感じる、考えることを徹底したいということのみにある。一見シンプルに思えるこのことが、しかしながら、いかにむずかしいかということも、この本は教えてくれる。

身体も思考も大衆化されやすい時代に生きている。食が自分をとおるとき、ウンコだけ出していればいいのか。情報が自分をとおるとき、どんな言葉を発するべきか。さまざまな困難を抱えながら、それでも食い続ける人たちがなまなましくあぶりだされた本書を置いたとき、生き方を問われていると感じた。



目次
旅立つ前に

残飯を食らう/食いものの恨み/ピナトゥボの失われた味/人魚を食う/ミンダナオ島の食の悲劇
食と想像力/胃袋の連帯/うどんの社会主義/ベトナム銀河鉄道

塀の中の食事 /食とネオナチ/黒を食う/敗者の味/サーカス一座の意味ある空腹/菩提樹の香る村/様々な食卓 /魚食う心優しい男たち/聖パンと拳銃と/大観覧車で食べる

モガディシオ炎熱日誌 /麗しのコーヒー・ロード/バナナ畑に星が降る/この王様のこの食事

兵士はなぜ死んだのか/禁断の森/チェロ弾きの少女/美しき風の島にて

儒者に食事作法を学ぶ/背番号27の孤独な戦い/ある日あの記憶を殺しに

May 22, 2009

Pictures between Winter and Spring



From Germany (Munich, Augusbrug, Neuschwanstein castle), and Hungary(Kiskasa, Pécs).

May 13, 2009

さいきん読んだ本18

青山潤 『アフリカにょろり旅』

エッセイ。これまで正式に発見されていない幻のウナギ「ラビアータ」を求めて、3人の東大の研究者がアフリカを奔走する。アフリカ旅行記、これはおもろい。さいきん旅行にも飽きてたけど、やっぱ旅って出てみるとおもろいんよな。


吉川日出男 『ベルカ、吠えないのか?』

WW2以降の軍用犬をめぐるハードボイルドな小説。人間、イヌ、そして人間もイヌも超えた存在へと、語り手の立場が次々と変化する。ほかのどんな作品にもない書き方をしている。



村上春樹 『海辺のカフカ(上)』


村上春樹 『海辺のカフカ(下)』

小説から感じたことを書くのはむずかしい。
いろいろとレビューを繰ってみようとおもう。



村井吉敬 『エビと日本人』

エビを捕る人たち、そだてる人たち、運ぶ人たち、いちばん儲ける人たち…。世界でいちばんエビを食べる日本人が、おそらくは知っておいたほうがよいだろうことが書かれている。われわれ日本人は、エビを(能動的に)買っているのか。もしくは(受動的に、だれかのちからによって)買わされているのかもしれない。『バナナと日本人』同様、じぶんの生活を思い直させられる作品。



野村進 『調べる技術、書く技術』

ノンフィクション作家のトップランナーが、どのように作品をつくりあげるかを体験的に解説してくれる。優れた作品の説明などもありがたい。自分も卒論を書かなくてはいけないので、こういう本を読んでみた。

ところで2週間前、難民キャンプに行ってきたので、ちょっと長くなるかもしれないが、そのことをここに書いておきたいと思う。

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日本からボランティアで来ている大学生K君の案内で、ビチケというブダペスト郊外の町にある難民キャンプに行ってきた。ハンガリーでは国内3箇所のキャンプで難民を受け入れていて、K君はそこで2ヶ月間ボランティアとして働いていたので、彼からいろいろなことを教えてもらった。

ハンガリーの難民キャンプは移民局が管理していて、イラク、アフガニスタン、スーダン、コソボ、アルバニア、グルジアなどから、戦争で家を失ったり、政治的な理由で国を追われた人たちを受け入れている。難民キャンプでの生活は1年間で、その間に国籍の変更手続きや就職の道をみつけることになる。ハンガリーだけでなくEU内で実施されており、西欧や北欧に行くほど支援が手厚くなる。そのため南から来た難民たちは一往に北や西を目指すらしい。

(仄聞のため定かではないが、スウェーデンでは難民ひとりあたり毎月700ドルの支援金が出るとのことだ。これは自分の毎月の給料より高い。)


キャンプ敷地内で難民の子たちとあそぶ。なつかしのブランコ。

「難民キャンプ」という言葉からイメージするものとはまったく違っていた。住居はレンガ造りの平屋で、風呂やキッチンは共同だが、外観も内装もハンガリーのふつうのアパートと水準はかわらない。キャンプ内でも序列はあるらしく、ワンルームに住んでいる人もいるが、基本は家族ごとに住み、完全にプライバシーは守られている。パレスチナ棟、アフガニスタン棟など、国ごとに建物が仕切られていた。

朝・昼食は支給されるが、夕食は自炊になる。毎月7,000Ft(約3,500円)が支給される。外出も特に規制なく出来る。特別チケットで、国内の交通費は無料。多くの人が電車で40分ほどかけてブダペストに出向き、就職活動をする。キャンプ内ではハンガリー語の授業を受けることが出来、テキストや文房具のための補助も出るそうだ。中東やアフリカ系の人がほとんどで、共通語としては英語やアラビア語をつかう人が多かった。

敷地内をあるくと、(べつにキャンプにかぎったことではないが)フレンドリーにしてくれる人とそうでない人がいる。会うなり「Hey Man, Nihao!! Hey Man, What is Nihao? What does it mean?」と、いきなり爆笑させてくれた黒人の男は、友人と一緒に楽しそうに車を洗っていた。あんなに楽しそうに洗車をする人は初めて見た。おそらくは週イチ以上のペースで車を洗っているだろう。彼はすでに仕事を見つけ、自分で稼いだ金で車を買ったのだ。彼も難民キャンプの中で、難民として生活している。国を負われ、自分には想像もできない苦労を乗り越え、1年間でハンガリーに順応し、一本立ちしたということだ。「すごい」と思ってしまう。これみよがしに、ながながと洗車をしたくなるのも自然なことだろう。

モロッコから留学のためハンガリーに来たが、パスポートを無くしてしまい、国に帰ることもできないまま難民になったという人の部屋のなかを見せてもらった。彼は厚遇を受けることの出来る身分らしく、8畳くらいの部屋にベット、ソファ、机、テレビ、HDDレコーダーなどを置いて、けっこう自適に暮らしているように見えた。K君によると、プレステ2やDVDを楽しんでいる家族も多いという。

ここまで書くと、難民の人たちは相当リッチな生活をしていると思われるかもしれないが、K君によるとやはり現実はきびしいらしい。最長でも1年でキャンプを出て行かなくてはならないため、彼らは必ず1年以内に仕事を探さなくてはならない。語学や年齢の問題などで仕事が決まらず、頭を抱えている人を何人も見てきた、とK君は言う。ホームレスにならざるを得ない難民の人も多いという。ちなみにブダペストだけでもホームレスは相当たくさんいる。冬の寒さが厳しいので、路上生活者を中心に毎年400人ほどが命を落とすという。経済危機が深刻なハンガリーでは、これからもっとホームレスの数は増えるのではないかとおもう。

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難民キャンプに行って、もっと知りたいことがたくさん出てきた。難民の人や移民局の人と話をして、かれらの話をもっと訊いてみたい。単純な発想かもしれないけど、彼らの話を聞いて、ちゃんと人に伝えられるくらいにまとめたいとおもった(しょせんは思いつきだけれど、思いついたのだからしかたない)。自分でテーマを決めて、インタビューをして、なにかを書き記すということは、過去に経験がない。この本を読んだあと、それを出来るようになりたいとおもった。そしてこの「知りたい」という気持ちを、磨耗させてはいけないのだろうなというふうに感じる。

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